Twitter 2011/04/11 [かーちゃんの「つぶやき日記」]
- marzoallee@nozaking777 今、辻堂だけど大丈夫! チュウスイ神経がいかれてきたぁ~!揺れてないのにフラフラするよ!04/10 22:45
- marzoallee行ってきました。迷惑になってしまうと思ったので、外からコッソリ。ビーグルちゃんの鳴き声が切なかった。04/10 19:42
- marzoalleeこれから、被災地のわんこが保護されてるJKCさんに行きます。04/10 18:24
- marzoallee@nozaking777 ん?夕べは、お疲れちゃん。マッコリはジュースだったよぉ~04/10 18:23
- marzoallee「アメリカザリガニに」さんになってしまった。04/10 07:26
- marzoalleeアメリカザリガニにさんの『一狩りいこうぜ』ってモンハンの番組やってる。GLEP時代を思い出すねぇ~04/10 07:24
あれから・・・・・・ [かーちゃんの「つぶやき日記」]
2011年4月10日
まーちゃんが「虹の橋」に行ってしまってから
一か月以上
やっと・・・・・・・
あの日のまーちゃんの事
書ける気がしてきました。
あんまり
かーちゃんが「メソメソ」してると・・・・・
「虹の橋」の手前に
「涙の川」があって・・・・・・
その川を渡れないって・・・・・・
だから・・・・・・
涙を流さないで
このブログを書くことにしました。
まーちゃんの容体が悪くなってから
かーちゃんは、まーちゃんの姿を少しでも収めて置きたくて
携帯とかPEN太郎とかで
写真を撮りまくってました。
亡くなる前々日のまーちゃんです。
今、思えば・・・・・・・
「かーちゃん、もう直ぐ お別れだよ」って
言ってるような・・・・・・
顔でした。
獣医さんに向かう車の中です。
翌朝・・・・・・・・
まーちゃんは、戻ってきました。
もう
永遠に
「かーちゃん」って言ってくれる事が無い・・・・
静かな表情でした。
あの日から一か月以上
とーちゃんは、かーちゃんの事を
「励まし」続けていてくれます。
少しでも
「外に出そう」と・・・・・・
とーちゃんだって・・・・・・・・
かーちゃん以上に
悲しいと思います。
かーちゃんの地元の
ペットショップには・・・・・・
ミニピンちゃんが居ませんでした。
とーちゃんが
「今日は、何処に行く?」と
かーちゃんは
「あのペットショップに行きたい」と・・・・・・
とーちゃんは、車を走らせて連れて行ってくれました。
そこに
居ました。
ピンちゃんの赤ちゃんです。
かーちゃんが
ピンちゃんのケースを
張り付いて見ていたら・・・・・・
店員さんが
「抱っこしてみます?」と
声を掛けてくれました。
かーちゃんは
「実は、三日前にピンちゃんを虹の橋に送ったんですよ」と
店員さんの申し訳なさそうな姿に
申し訳ないと思ってしまいました。
もちろん
抱っこさせて頂きました。
ワンコの温もりが
こんなにも
「癒してくれる」なんて
思いもしませんでした。
無邪気過ぎる姿
一生忘れないと思います。
そして
311の日
かーちゃんはとーちゃんの問いかけに
「明日、羽田空港に行きたい」と
まーちゃんが
大阪からやって来た空港です。
まーちゃんがやって来た日の事を思い出したくて・・・・・
そして
PM2:46
丁度デッキで飛行機が飛ぶ姿を見ていた時です。
飛行機が入ってくる瞬間
地面が揺れ始め
とーちゃんも
かーちゃんも
「飛行機って揺れるんだな」とか
呑気にしていたら
だんだんだんだん
揺れが激しくなって
立ってもいられない状態になりました。
だんだん
だんだん
不安になっていたら
都心の方向から
黒い煙が
結果・・・・・・
羽田空港から・・・・・
出るこ事が出来なくなってしまい
「津波警報」が発令されて
羽田空港の最上階に避難しました。
こんな非常事態の時に
「帰宅困難者」になってしまいました。
この時は
外部からの情報が一切なくて
まさか・・・・・・
こんなに大きな災害になっている事なんて
知る由もなかったのです。
唯一の情報は
twitterでした。
地元の友達に状況を知らせてもらうツイートを打って
安否の確認をしました。
携帯の電池も無くなりそうだったので
急いでコンビニに駆け込みました。
でも
コンビニも制限されていて
入れるまでに
長蛇の列
無事
電池を確保して
「出発ロビー」へ
夜がふけるにつれて
羽田で足止めされてしまう方でいっぱいになりました。
まったく・・・・・・
一番必要の無い人間が・・・・・
ここにいる事に
申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
翌朝
モノレールと地下鉄が動き始め
普段だったら
お江戸から
一時間で帰れる距離を
四時間掛けて帰って来ました。
その間
余震があるたびに
電車が止まってしまい
不安だけが
心をよぎってしまいました。
家に帰るまで・・・・・・・・
ここまでの未曾有の大惨事になっているなんて
思いもしませんでした。
余震の影響で
かーちゃんのお家もかなり揺れました。
富士宮を震源とする地震の時は
まーちゃんの骨を抱えて
避難体制に
あれから
まーちゃんの骨は
肌身離さず持っていいます。
未曾有の大惨事から
一か月が過ぎました。
お城の桜も咲き始め
まーちゃんの居ない「桜」は・・・・・・
かーちゃんにとって・・・・・
これほど
寂しいものは無い・・・・・って
思っていましたが・・・・・・
かーちゃんを心配してくれる
名古屋のお友達から
名古屋の桜の便りをいただき・・・・・
「今年の桜は、まーちゃんが居ないから寂しい」って
「バカな事を考えるなよ」と叱られました。
かーちゃんより
もっと
もっと
悲しい人は
いっぱい
いっぱい
居るんだと・・・・・・・・
「UKC JAPAN」
http://ameblo.jp/dog-rescue/entry-10853845310.html
↑
今、かーちゃんの県で
被災地のペットを命がけで
守ってくれている団体さんのブログです。
TVでも報道されています。
涙無くしては・・・・・・観れません。
どうか・・・・・・
ペットも大切な命です。
一匹でも・・・・・
助けられればと・・・・・・・
かーちゃんにも
協力できる事があれば・・・・・
思っている毎日です。
今
まーちゃんが「虹の橋」に行ってしまってから
一か月以上
やっと・・・・・・・
あの日のまーちゃんの事
書ける気がしてきました。
あんまり
かーちゃんが「メソメソ」してると・・・・・
「虹の橋」の手前に
「涙の川」があって・・・・・・
その川を渡れないって・・・・・・
だから・・・・・・
涙を流さないで
このブログを書くことにしました。
まーちゃんの容体が悪くなってから
かーちゃんは、まーちゃんの姿を少しでも収めて置きたくて
携帯とかPEN太郎とかで
写真を撮りまくってました。
亡くなる前々日のまーちゃんです。
今、思えば・・・・・・・
「かーちゃん、もう直ぐ お別れだよ」って
言ってるような・・・・・・
顔でした。
獣医さんに向かう車の中です。
翌朝・・・・・・・・
まーちゃんは、戻ってきました。
もう
永遠に
「かーちゃん」って言ってくれる事が無い・・・・
静かな表情でした。
あの日から一か月以上
とーちゃんは、かーちゃんの事を
「励まし」続けていてくれます。
少しでも
「外に出そう」と・・・・・・
とーちゃんだって・・・・・・・・
かーちゃん以上に
悲しいと思います。
かーちゃんの地元の
ペットショップには・・・・・・
ミニピンちゃんが居ませんでした。
とーちゃんが
「今日は、何処に行く?」と
かーちゃんは
「あのペットショップに行きたい」と・・・・・・
とーちゃんは、車を走らせて連れて行ってくれました。
そこに
居ました。
ピンちゃんの赤ちゃんです。
かーちゃんが
ピンちゃんのケースを
張り付いて見ていたら・・・・・・
店員さんが
「抱っこしてみます?」と
声を掛けてくれました。
かーちゃんは
「実は、三日前にピンちゃんを虹の橋に送ったんですよ」と
店員さんの申し訳なさそうな姿に
申し訳ないと思ってしまいました。
もちろん
抱っこさせて頂きました。
ワンコの温もりが
こんなにも
「癒してくれる」なんて
思いもしませんでした。
無邪気過ぎる姿
一生忘れないと思います。
そして
311の日
かーちゃんはとーちゃんの問いかけに
「明日、羽田空港に行きたい」と
まーちゃんが
大阪からやって来た空港です。
まーちゃんがやって来た日の事を思い出したくて・・・・・
そして
PM2:46
丁度デッキで飛行機が飛ぶ姿を見ていた時です。
飛行機が入ってくる瞬間
地面が揺れ始め
とーちゃんも
かーちゃんも
「飛行機って揺れるんだな」とか
呑気にしていたら
だんだんだんだん
揺れが激しくなって
立ってもいられない状態になりました。
だんだん
だんだん
不安になっていたら
都心の方向から
黒い煙が
結果・・・・・・
羽田空港から・・・・・
出るこ事が出来なくなってしまい
「津波警報」が発令されて
羽田空港の最上階に避難しました。
こんな非常事態の時に
「帰宅困難者」になってしまいました。
この時は
外部からの情報が一切なくて
まさか・・・・・・
こんなに大きな災害になっている事なんて
知る由もなかったのです。
唯一の情報は
twitterでした。
地元の友達に状況を知らせてもらうツイートを打って
安否の確認をしました。
携帯の電池も無くなりそうだったので
急いでコンビニに駆け込みました。
でも
コンビニも制限されていて
入れるまでに
長蛇の列
無事
電池を確保して
「出発ロビー」へ
夜がふけるにつれて
羽田で足止めされてしまう方でいっぱいになりました。
まったく・・・・・・
一番必要の無い人間が・・・・・
ここにいる事に
申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
翌朝
モノレールと地下鉄が動き始め
普段だったら
お江戸から
一時間で帰れる距離を
四時間掛けて帰って来ました。
その間
余震があるたびに
電車が止まってしまい
不安だけが
心をよぎってしまいました。
家に帰るまで・・・・・・・・
ここまでの未曾有の大惨事になっているなんて
思いもしませんでした。
余震の影響で
かーちゃんのお家もかなり揺れました。
富士宮を震源とする地震の時は
まーちゃんの骨を抱えて
避難体制に
あれから
まーちゃんの骨は
肌身離さず持っていいます。
未曾有の大惨事から
一か月が過ぎました。
お城の桜も咲き始め
まーちゃんの居ない「桜」は・・・・・・
かーちゃんにとって・・・・・
これほど
寂しいものは無い・・・・・って
思っていましたが・・・・・・
かーちゃんを心配してくれる
名古屋のお友達から
名古屋の桜の便りをいただき・・・・・
「今年の桜は、まーちゃんが居ないから寂しい」って
「バカな事を考えるなよ」と叱られました。
かーちゃんより
もっと
もっと
悲しい人は
いっぱい
いっぱい
居るんだと・・・・・・・・
「UKC JAPAN」
http://ameblo.jp/dog-rescue/entry-10853845310.html
↑
今、かーちゃんの県で
被災地のペットを命がけで
守ってくれている団体さんのブログです。
TVでも報道されています。
涙無くしては・・・・・・観れません。
どうか・・・・・・
ペットも大切な命です。
一匹でも・・・・・
助けられればと・・・・・・・
かーちゃんにも
協力できる事があれば・・・・・
思っている毎日です。
今